フィンランドに来て、すごく幸せそうな社会をたくさん見た。

 

だけど、ひろゆきホリエモンの動画を見て、あることに気づいた。

 

 

 

なぜ、幸せにしようとするのか?

 

 

 

国は幸福度を上げたい、もっと住みやすい世界にしたい、もっと便利にしたい。

 

その欲望は今までずっと発展する糧になってきた。

 

だけど、そもそも誰かを幸せにすることは必要なのか?

 

というのは、各々で幸せと思う基準は全く違う。

 

自分が良かれと思って相手にしたことが、返って逆効果だったりするなんてみんな経験したはず。

 

シニフィエシニフィアンという考えは、実際にあるものと自分が見えているものにはズレが存在するという。

 

だから自分が幸せになるように生きればそれでいい。

 

 

 

自分の人生だから。

 

 

 

例えば、相手を喜ばせることが自分の幸せならそれをすればいい。

 

逆に相手はどうでも良くて、自分が楽しければ幸せならそれをすればいい。

 

天才と呼ばれた数学者や物理学者たちはみんな後者。

 

また、キング牧師やネルソンマンデラは前者。

 

水と安全が確保されていることが幸せである国はたくさんある。

 

だけど日本はそれを当たり前にしてさらなる高みを探している。

 

そこもまた国民性の違いで、環境を上手く使えるかどうか。

 

 

 

社会に貢献しようとしなかろうと、それは国が決めることじゃない。

 

発展しようとしなかろうとどうでもいい。

 

それを自分の幸せにどう利用するか、またはしないか、それも自由。

 

発展させることが幸せな人がいたから発展してきた。

 

スマホが発売されて、使うか使わないかは個人が選択できる。

 

会社に利用されることが嫌なら利用されないようにがんばれ。

 

他人の幸せを考えてるほど人生に余裕はない。

 

80歳、90歳まで生きられるとは限らない。

 

老人になってもいつまでも幸せにならないなら50歳までに幸せづくしで死んだ方がいい。

 

父親が60歳手前にして一番幸せそうに感じない。

 

余生をどんな気持ちで生きるのだろう。

 

自分は死ぬまで幸せ感じていたい。

 

だから自分のために生きる。

 

周りと喜びを分かち合うことが自分にとっての幸せ。

 

だから彼女を愛すし、自分の助言で喜ぶ人を増やしたい。

 

そしたら人の心理や世の中の情勢を学ぶことは苦ではないし、むしろ楽しい。

 

ダンスを一人でしても続かないのは、周りと分かち合う楽しさがないから。

 

そこに人柄が表れてくるのだと思う。